昨年9月に初めて歌舞伎を見て玉三郎に感動して以来、なんとなく歌舞伎が気になっている。テレビで、市川團十郎海老蔵親子のパリオペラ座公演「勧進帳」を見たり、中村勘三郎ら平成中村屋のベルリン公演「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」を見たり。今年7月の歌舞伎座夜の部は玉三郎海老蔵の競演で、しかも演目は泉鏡花。ぜひ見たいと思って席を取った。
「夜叉が池」は、市川春猿市川笑三郎女方の艶やかさを競う。春猿が村人から雨乞いのために生贄になれと迫られて自害するか弱い人間の女を演じれば、笑三郎は約束を守らない村人を池を氾濫させて皆殺しにする魔女(昔生贄にされ、今はこの世のものでなく池の主となった女)を演じる。このお話で描かれるのは人間の醜いほどの愚かさである。(特に、春猿が夫の留守中に村人たちに襲われ、後ろ手に縛られて馬の背に仰向けに乗せられるシーンは、人間の恐ろしさと残酷さが露になって、とても正視できないほどだった。)
高野聖」でいよいよ玉三郎登場。春猿笑三郎は前座だったのね。ここでも人間の愚かさが描かれる。玉三郎演じる人里離れた山奥に住む魔女は、出会う男を次々と牛馬や猿に変身させてしまうが、海老蔵演じる高野山の修行増は魔女の誘惑にあいながら必死に煩悩を押さえ、逃げおおせる。「夜叉が池」はまるで救いのない話だが、「高野聖」は海老蔵の修行増が知性と道徳心という人間の可能性を示してくれる。
歌舞伎座のすぐそばにあるカーヴ・デ・ヴィーニュというワインバー(中央区銀座4-13-15 成和銀座ビルB1、03-3549-6181)で軽く食べて飲む。